最近、とあるパーティーの場で、聴き覚えのある言葉をきいた。
「デジタルサイネージ」
電子広告からはじまり、つい最近では、広告の前にたった人を分析し、適切な広告を配信する。そこにFelicaなどの技術を組み合わせ、情報を提供する。
こんな私でも、ついに「小さいころ描かれていた未来像」なるものが、現実化されていく、という年になってしまったと、つくづく感じている。
地下鉄や、駅のコンコース、飲食店などで電子広告を見ると、時代を感じる。毎年、毎年、この年が大きな年にと言われるらしいが、大当たりはなかなか来ない。
個人的な見解では、全部電子広告にすれば、広告制作から配信、管理までスピーディーかつ、現状の紙よりももっと拡張性があるのに、と思うのだが、なかなか進んでいる様子がない。きっと、どこかが大々的に、一括して電子広告にすれば、流行るのかもしれないが。
駅の手洗いでたまに見かける広告。男性トイレの場合、便器からもう一歩前に進んで用を足すという習慣なるものがあるのだが、これを利用した広告がある。見る角度によって絵柄が変わる、プラスチック製の広告なのだが、つまり広告に対して至近距離になると、絵柄が変わって見えるというもの。
是非お問い合わせ下さい、というメッセージも併せて書かれているのだが……
時代は変わってしまったようだ。
2010年4月25日日曜日
インプットの重要性
インターネットは、多くの可能性を秘めたコミュニケーションツールだ。
1:nもできるし、1:1もできる。キャッチボールもできるし、一方的な情報発信もできる。
ブログやCMS、SNSといったITが技術及びマーケティングでうまく組み合わさり、ここ数年普及してきた。しかしながら、私は以前、不思議に感じていることがある。それは、どうも技術やマーケティングは、アウトプットに傾きすぎているのではないかということだ。
これを強く感じたのは 超実践!ブログ革命―共感が広がるコミュニティ作り (角川oneテーマ21) (新書)
(増田真樹 著)という本を読んでから。
私が生まれた年齢の都合、本当にインターネットが普及し始めたころについては語りようがないことなのだが、少なくとも、1998~2000年あたりの「昔」なら、私もよく知っている。
近年、AmebaピグやキミフジといったWebコミュニケーションサービスや、SecondLifeのようなメタバース(仮想現実空間)が普及してきているが、かつては、3Dチャットと呼ばれるサービスが存在した。相次いでサービスが停止しているが、思い出すと非常に懐かしい。
2010年現在、Webは今も進化し続けている。まるで宇宙が膨張し続けているかのようだ。コンピュータの処理能力は向上し、3Dの描写能力も向上、インターネット回線のインフラは日々高速化し、電子部品は普及とともにデフレーションしている。
そんな中、98年あたりというのは、Webサイトで日記を公開するというのは、誰でもできることではなかった。ある程度、技術に精通している人でなければ、HTMLを編集したりサーバにアップロードしたりということができなかっのだ。その上、いちいちファイルを開いて編集したり、CGIを設置したりということで、気軽なものではなかった。
ブログは、その「面倒さ」「難しさ」を一蹴した。誰もが、簡単に情報をアウトプットできるようになったのだ。
僕が重要だと考えるのは、この先である。アウトプット、つまり発信は簡単にできるようになったのに、どうも受信は簡単にできているように思えない。RSS受信や、ブログ購読といったサービスはどれもあるが、かつてのブックマークがちょこっと進化した程度にしか感じない。その成長力は、ITのアウトプットの成長力に劣る。
今だって、人は情報を取得するのに、検索窓とページスクロールに依存することが多い。それらを否定するわけではないが、ある一定の情報を、ページを開いた瞬間に取得したい、他の情報は見る必要がない。そういったわがままが、「手軽」という感覚にまで至っていない気がするのである。
今後は、様々な質の情報がより多く発信されていく。そういった情報をいかに効率よくユーザーの手元にインプットさせるか、そのサービスを開発することが私は肝だと思っている。
何故ならば、iPhoneや各種スマートフォンのように、素晴らしいハードウェアは手元にあるのだから。
1:nもできるし、1:1もできる。キャッチボールもできるし、一方的な情報発信もできる。
ブログやCMS、SNSといったITが技術及びマーケティングでうまく組み合わさり、ここ数年普及してきた。しかしながら、私は以前、不思議に感じていることがある。それは、どうも技術やマーケティングは、アウトプットに傾きすぎているのではないかということだ。
これを強く感じたのは 超実践!ブログ革命―共感が広がるコミュニティ作り (角川oneテーマ21) (新書)
(増田真樹 著)という本を読んでから。
私が生まれた年齢の都合、本当にインターネットが普及し始めたころについては語りようがないことなのだが、少なくとも、1998~2000年あたりの「昔」なら、私もよく知っている。
近年、AmebaピグやキミフジといったWebコミュニケーションサービスや、SecondLifeのようなメタバース(仮想現実空間)が普及してきているが、かつては、3Dチャットと呼ばれるサービスが存在した。相次いでサービスが停止しているが、思い出すと非常に懐かしい。
2010年現在、Webは今も進化し続けている。まるで宇宙が膨張し続けているかのようだ。コンピュータの処理能力は向上し、3Dの描写能力も向上、インターネット回線のインフラは日々高速化し、電子部品は普及とともにデフレーションしている。
そんな中、98年あたりというのは、Webサイトで日記を公開するというのは、誰でもできることではなかった。ある程度、技術に精通している人でなければ、HTMLを編集したりサーバにアップロードしたりということができなかっのだ。その上、いちいちファイルを開いて編集したり、CGIを設置したりということで、気軽なものではなかった。
ブログは、その「面倒さ」「難しさ」を一蹴した。誰もが、簡単に情報をアウトプットできるようになったのだ。
僕が重要だと考えるのは、この先である。アウトプット、つまり発信は簡単にできるようになったのに、どうも受信は簡単にできているように思えない。RSS受信や、ブログ購読といったサービスはどれもあるが、かつてのブックマークがちょこっと進化した程度にしか感じない。その成長力は、ITのアウトプットの成長力に劣る。
今だって、人は情報を取得するのに、検索窓とページスクロールに依存することが多い。それらを否定するわけではないが、ある一定の情報を、ページを開いた瞬間に取得したい、他の情報は見る必要がない。そういったわがままが、「手軽」という感覚にまで至っていない気がするのである。
今後は、様々な質の情報がより多く発信されていく。そういった情報をいかに効率よくユーザーの手元にインプットさせるか、そのサービスを開発することが私は肝だと思っている。
何故ならば、iPhoneや各種スマートフォンのように、素晴らしいハードウェアは手元にあるのだから。
2010年4月23日金曜日
閉鎖的なプログラム言語「BML」
「BML」という言葉を知っているだろうか?
もし、知っているのならば、放送業界関係者か、コアな会社者かもしれない。
BMLとは、社団法人電波産業会(ARIB)という団体が「標準規格ARIB-STD-B24」として開発・策定した言語である。その開発ベースは、Webページを記述するXHTML及びXMLの技術を取り込み、日本独自に誕生した規格である。
用途としては、日本のデジタル放送(BS,ワンセグ含む)において、データ配信時のページ記述に用いるものであり、特にリモコン操作や音声の制御を中心とする拡張が図られてた。プッシュ配信型サービスに特化した言語である。
(情報の自動更新機能についての規定など)
実にマイナーかつ、国が率先して開発者を育てなかったため、デジタル放送が表立ってくるまで、全然技術者が育たなかった言語である。開発には、各開発会社が販売しているソフトウェアを使用する。インターネットの技術でありながら、とことん組み込みソフトウェアみたいな分野の言語なのだ。
個人で趣味で手をだすような領域ではなく、おそらく触れるにはその業界に入るくらいしかない。
今回、タイトルを閉鎖的としたのは、そういう意味合いをこめている。
HTMLというのは、ほぼ誰でも簡単に導入できる。趣味の延長線から仕事にした人もいるだろうし、プログラミングに興味を持った人もいるだろう。ところが、このBMLというのはどうも閉鎖的な言語としか私には思えない。
具体的な業界数値をしらないので一概に言えないが、デジタル放送のおいて、データ配信コンテンツの開発者は不足するのではないだろうか。ここぞとばかりに、入り込めるチャンスでもあるのに、こんなに閉鎖的だととっかかりにくい。
単純に、何故もっとオープンソースを使わなかったのかと、不思議にも思う。
(BMLに関してはどちらかというとXHTMLライクで、かつJavaScriptの標準規格であるECMAScriptに対応し、スクリプトを埋め込んで動的なコンテンツを記述することもできる。また、今後JAVAにも対応していく見通し。)
なお、私がこれを知るキッカケになったのは、「2011年、メディア再編 地デジでテレビはどう変わるのか
西 正 (著) 」を読んでからだ。
◆参考書籍◆
もし、知っているのならば、放送業界関係者か、コアな会社者かもしれない。
BMLとは、社団法人電波産業会(ARIB)という団体が「標準規格ARIB-STD-B24」として開発・策定した言語である。その開発ベースは、Webページを記述するXHTML及びXMLの技術を取り込み、日本独自に誕生した規格である。
用途としては、日本のデジタル放送(BS,ワンセグ含む)において、データ配信時のページ記述に用いるものであり、特にリモコン操作や音声の制御を中心とする拡張が図られてた。プッシュ配信型サービスに特化した言語である。
(情報の自動更新機能についての規定など)
実にマイナーかつ、国が率先して開発者を育てなかったため、デジタル放送が表立ってくるまで、全然技術者が育たなかった言語である。開発には、各開発会社が販売しているソフトウェアを使用する。インターネットの技術でありながら、とことん組み込みソフトウェアみたいな分野の言語なのだ。
個人で趣味で手をだすような領域ではなく、おそらく触れるにはその業界に入るくらいしかない。
今回、タイトルを閉鎖的としたのは、そういう意味合いをこめている。
HTMLというのは、ほぼ誰でも簡単に導入できる。趣味の延長線から仕事にした人もいるだろうし、プログラミングに興味を持った人もいるだろう。ところが、このBMLというのはどうも閉鎖的な言語としか私には思えない。
具体的な業界数値をしらないので一概に言えないが、デジタル放送のおいて、データ配信コンテンツの開発者は不足するのではないだろうか。ここぞとばかりに、入り込めるチャンスでもあるのに、こんなに閉鎖的だととっかかりにくい。
単純に、何故もっとオープンソースを使わなかったのかと、不思議にも思う。
(BMLに関してはどちらかというとXHTMLライクで、かつJavaScriptの標準規格であるECMAScriptに対応し、スクリプトを埋め込んで動的なコンテンツを記述することもできる。また、今後JAVAにも対応していく見通し。)
なお、私がこれを知るキッカケになったのは、「2011年、メディア再編 地デジでテレビはどう変わるのか
西 正 (著) 」を読んでからだ。
◆参考書籍◆
2010年4月21日水曜日
OSは雲の上。
今日は、VMware Player を使って、Googleが開発したOSを使用してみた。
アンドロイドが携帯端末向けOS(+ネットブックも視野に)なのに対し、クロムOSはネットブックを主流に、通常のデスクトップ、ノートPC向けにも開発されている。
私はログイン時に戸惑いを感じたものの、このOSを快く受けいれ、普及させたいと感じている。民間エヴァンジェリストになりたいくらいだ。
今回、試したのはGoogle Chrome OSの開発版である「Chromium OS 0.4.22.8」。ログインはGMAILアカウントで行い、ログイン後は Chrome ブラウザのみ。これは、ブラウザで動作するWebアプリケーションをフル活用することを前提とした作りと考えられる。
OSが本来の意味でOSとして働くようになった、そう私は感じた。
これからは、クラウド上でWebアプリケーション(皮肉を言えば、2.0でも3.0でも)を開発できる人材が、IT業界を生き残ることができる。単純なWebサイトは、Webアプリケーション上で素晴しいWebサイトをデザインしてくれるだろう。よって、その分野に人はほとんどいらなくなる。
2010年4月19日月曜日
どこでインプットするのか?
私が開発したいアプリケーションは、「大量の情報を瞬時に取得する」アプリケーションだ。
それも、「こちら側」ではなく、ネットの向こう側、クラウド上で実現したい。どのクライアントPCからもアクセスでき、欲しい情報を瞬時に取得できる。
自ら検索し、情報を取得するには、それ相応のITリテラシーが必要である。私が目指す上記のアプリケーションはITリテラシーが高い人もそうではあるが、そうでない人にとっても、素晴らしいアプリケーションでありたい。言わば、ポータルサイトには若干近いかもしれない。
アプリケーションがすることは、利用者への「提案」である。無論、利用者が「明確な」検索したい物が決まっているのであれば、ベストな検索エンジンに御願いして検索をすれば良い。それだけではなく、「これもどうですか?」というのを自然と行いたい。
そう、Amazon.comの、閲覧履歴に基づくおすすめのように。
2010年4月16日金曜日
情報を大量にインプットすること。
私は常に心がけていることがある。
それは、多くの情報を自分にインプットすることだ。
現代、情報は多くのところから取得出来る。テレビ、ラジオ、インターネット、新聞、冊子、そして私たちの目の前に広がる空間。とりわけ、私はテレビ、インターネット、冊子から情報を取得するようにしている。将来は、新聞の一部がそうなったように、多くの冊子がWebページやPDF化されることを願う。
私は「本」という紙から形成されている媒体も好きではあるが、それ自体が好きだと言うことと、「情報の取得」に関しては、全く別問題だと考えている。よって、「情報の高速大量インプット」を目指し、それを実現せんとする自分にとっては、「媒体が好きかどうか」よりも、速度や扱いやすさが大切である。
※無論、自宅図書館をやってみたいという願望はある。
情報の取得で気をつけなければいけないのは、お金を支払ったら満足してしまうことである。
確かに、物には対価というものがあり、価値ある物にお金を支払うことは良い事だ。情報の取得という観点からして、一冊の冊子に含まれる、紙代、情報代、人件費において、紙代は無駄である。ネットワーク上にのせるために経費が別途かかるなら、それは情報を高速に取得し、整理するために必要な経費であり、情報の取得原価に足される事に何ら抵抗は無い。
だが、「情報に価値を感じない」という状況において、いくらまでなら、「多少この情報には過剰に料金を払っているが、まだそれでも欲しい情報である。」という判断が必要で、「買って満足した。」などであれば、買う必要は無い。(情報の取得が目的ではなく、満足感を得る事が目的であれば、それは買っても"満足感という価値観への支払"として、納得できるであろう。
私は日々、インターネット、テレビ、自らの視界で欲しい情報すべてを効率よくインプットできる方法は無いかと、考えにふけっている。未だ、良いアプリケーションはパソコンにも自分にもインストールされていない・・・。
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